親父の最後と私



私の親父が亡くなったのは昭和55年5月6日です。


昭和47年4月30日私が小学校2年生の時に父の祖父ががんで亡くなりました。


祖父の命日は私の母の誕生日と同じ日でした。


祖父は信心深くない人だったのですが、観音信仰があった、
嫁である母親の誕生日を自分の命日にしたのはきっと偶然ではないと思います。


祖父が亡くなってから8年後、父親は昭和55年4月29日の昭和天皇誕生日に
祖父のために墓を建て法要をしました。


法要には親戚も集まりました。


兄は競輪選手になるために競輪学校に入学をしていため法要には参加できませんでした。


その当時、墓石は奮発したらしく100万円の墓石だと言っていました。


父は祖父のお墓を建てることを大変喜んでいました。

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その頃父は、肝臓病を罹患したため、大好きだったお酒を1年辞めていました。


私は日大系の進学校で高校二年生でした。



もともと不良の気質も持っていたので、入学式に髪に茶色のメッシュを入れでいたのです。


学校の担任に目を付けられたのです。


当初この学校は受験に失敗し落ちたのですが、 第2補欠で受かったのです。


私はすでに、東京都立普通科高校に合格していたので、この学校には行きたくなかったのです。


なぜ行きたくなかったと言うと、日大系の高校は男女共学が多かったので、
受験の前までは、男女共学だと思っていました。


当日、試験会場は男ばかりなのでおかしい?と思い、他の受ける人に聞いてみました。


ここは 男子校だよ!


その言葉を聞いて、がっかりし、やる気が出ないので、適当に試験を抜けました。


見事に試験に落ちました。


しかし、その後、合格した都立高校は男女共学なので、素晴らしい学校生活を送れると思います。


私は女好きでした…


もう残り少なくなった中学校の謝恩会の当日に、
日大系の学校から第2補欠で受かったと連絡がありました。


私は日大系の学校には行かないよ!と言いました。


母と兄が「この日大系の学校にしなさい、この学校に入れば大学にも行ける」と何度も言われて
仕方がなく、この学校に行くことにしました,


入学をしたのですが、学校の担任はサイコがかかったような変質狂で、
何かあると突然キーと行って暴れ、私を目の仇にしたようです。


ほかにも、英語の先生は、始めから終わりまで、
日本語を一言も話さず、授業時間は英語だけで、自分だけ悦に入っていました。


もともと私は、何で日本人なのに英語を話さなきゃいけないんだ?


私の問いにはどの先生も答えられなかったのです。


ただ、良い大学に行くのには英語が必要なんだとだけ言ったのです。


あほくさ、それでは答えになりません。


私は国語は必ず必要だと思っていたので、一番いい時には偏差値73を出しました。


英語は全くやる気が出ないので、偏差値40ぐらいです。


そんなわけで学校の授業は全然面白くないし、ほぼ毎日授業は寝ていました。


高校に入学して初めての試験は720人中150番ぐらいの成績でした。


しかし、毎日寝ていた事もあり直ぐに中間、
期末テストは平均720人中700番位の成績になりました。


毎年、ダブり(留年)確定するのは下から20〜40番目くらいと言われています。


わたしが留年しなかったのは、赤点を取ったら、
ちょっと勉強して追試験ではよい成績で繰抜けたのです。


クラブに所属していたのは陸上部です。


陸上部の練習と試合は真面目に出ていたので、
高校一年生の頃は陸上部の1年生で2、3年生と一緒に100Ⅿ×4のリレーのメンバーになりました。


しかし、高校の陸上部の夏合宿に出なったのでリレーのメンバーを外されました。


陸上部の1年生で2、3年生と一緒に100Ⅿ×4のリレーのメンバーになっていたのに、
夏合宿に出なったのでリレーのメンバーを外されるのは、
あほくさと思い、練習も出ないようになりました。

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学校は池袋の近くににあったので、池袋近辺の学校内外の不良仲間に交流できて、
付き合いも多くなりました。


昭和55年5月4日に不良仲間の家に泊まり、翌5月5日の夕方に家路についたのです。


家には昨日から連絡を入れてません。


また、親父に怒られる。


かったるいな~


日が暮れ遅くなったのでかなり怒っているだろうなと思いました。



つづく


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彼岸の智慧による不変の教え


観自在菩薩が、彼岸の道に向かって深く行じることにより、
心の眼が開いてものの実相が見えるようになると、
心は五蘊によるすべての自我の思いから離れる。
そうなると、一切の苦しみと災いを超えることができる。

舎利弗および仏弟子たちよ、目に見えるものがすべてではない。
目に見えないものも実体として存在するのである。

そしてそれらは本質的には同じものである。

お互いを生かし合っている自然界には自我の思いが無い「空」であり、
自我が無いから自然界という「色」は成り立っているのだ。
自分の心と行為についても、自我の思いや執着というものはもともと無いものなのだ。

それゆえ、舎利弗および仏弟子たちよ、
このさまざまな因縁の法則は、
ものが新たに生まれたり消えたりすることも無ければ、
垢が溜まって汚れることも浄める必要も無い。
宇宙エネルギーは一定であり、増えたり減ったりすることも無い。

それゆえ「空」の世界には「色」への執着も迷いを重ねることも無い。

心に仮相の根を作ることも、喜怒哀楽に振り回される心も無い。
また肉体感覚からくる迷いも無ければ、老死も苦悩も無い。

単なる知識では真相は分からない。
自己保存の欲望に揺れていては菩薩の智慧は得られないからだ。

般若の智慧を得ることで、心にとらわれが無くなる。
とらわれが無くなることで恐怖を感じることも無くなる。

物事を逆さまに観る一切のことから遠く離れることで仏の世界に往きつくことができる。

三世に渡るそれぞれの仏といわれる者は、彼岸の智慧によって最高の悟りを得た。

以上のことから分かるように、仏の智慧は大いなる神の言葉なのである。

一切の智慧であり、これ以上無い真実の言葉である。これに比べられるものは無い。
そして、一切の苦しみが取り除かれるものであり、真実であって偽りの無いものである。

ゆえに、この智慧の言葉を要約すると、以下のとおりとなる。

彼岸へ、彼岸へ、彼岸へ到達しよう。
あなたも、わたしも、自我の執着から離れ、
物事を正しく観ることにより悟りの彼岸に到達して、安心の境涯を手にしよう。

これが永遠に変わらぬ心の教えである。

合掌  



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《古神道の祝詞》

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皆さんの幸せのために祈ります